私は副業としてパチスロで稼いでいる。
しかし、ギャンブルで勝つことなんて出来ないだろうという一笑に付されることも多々ある。パチスロで勝っている人たちは全ユーザの中で1割にも満たないとの話だが、実際のところそうなのだろう。
ギャンブルとは麻薬のようなものだ。法律で賭博が禁止?とんでもない、日本はギャンブル大国だ。公営ギャンブルだと認められていないだけで、パチンコ、競輪、競馬…大衆に最も近いところに賭博の温床があるではないか。
今回は、ギャンブルに向いていないと思われる人の5つの特徴を挙げてみた。「俺、賭博に向いてないのかな?」と思った方、1つでも当てはまっていればアウトである。
ギャンブルに向いていない人の5つの特徴
感情的になる
喜怒哀楽はギャンブルには必要なものだ。何故なら本質は娯楽だからである。
勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。
しかしながら必要以上に感情的になる人は、周りに余裕がないことをアピールしているようなもので、例えば麻雀のようなゼロサムゲームでは心理的に不利になったり、冷静に局面を見ることが出来なくなったりする。
どのギャンブルでも、大概は攻略法が存在する。確率論、期待値を駆使していけば最終的には収束していくものなのだ。勝ち方を知っている博徒というのは必然的に敗け方を知っていることでもあり、結果論などを口にすることもない。
なにより見苦しい印象を受けるので、メンタルコントロールの面でも重要。
自分が負けるのを他の何かのせいにする
八つ当たり、ともいえる。例えばパチンコ屋でよく話題になる『遠隔』。だが今の時代、そんなリスクだけの無駄な行為は間違いなく無いと断言できる。しかし、未だに遠隔がどうのこうの言っている人は、ギャンブルでも負け組である。
運が悪いと嘆く前に、自分がどうしてそうなったかのプロセスを振返って見ることが肝要。大抵の場合、負け続けている人は自分が負けるべくして負けているということに気が付かない。
情報弱者である
このインターネットで情報が氾濫している時代において情報弱者であるということは、イコール勝つための努力をしない・勉強をしていないということに等しい。ことギャンブルにおいてはそれは致命的である。情報は自分の財産であり、行動の最大の指針となるものであるから、インターネットで調べたり、他者と交流を図って常に新しい情報を仕入れるべきだ。
ギャンブルはラクして勝つものではない。勝つべきものが勝つのである。
オカルトを信じている
運などの不確定要素に頼るのは本当にギャンブルに向いていないと思う。スポーツ選手などはよく願掛け、ゲン担ぎなどの運任せとも取れる行為をしているが、あれはある種の『ルーティン』であり、シビアな実力の世界において、精神を安定させるための一連の所作ともいえるのそもそも根本的に考え方が違う。
ここでいうオカルトとはギャンブルにおいて自分以外の何かに頼るとき、最も簡単でラクな選択を決定するということも含む。勝つためには時にデータの収集や、特別な技能の習得も必須となってくるケースがあるが、それらの努力をせずに自分の意思決定を神に委ねているに等しい。しかし神はただ縋るだけの者には微笑まない。
ちなみにオスイチで有名なパチンコ漫画家の谷村ひとし氏は、人間ではなく恐らく神の類なのでこのケースからは除外することにする。
合理的な判断が出来ない
ギャンブルで負けている人というのは、大穴を狙って勝つ確率が低い大勝負に出ることも多い。競馬で言えば3連単などだ。それは一発を当てればこれまでの負けも全て帳消しに出来ると思っているからであり、確かにもし運がよく一発当たっとしてても、甘美な興奮をまた味わうためにもう一度同じようなことを繰り返すだけである。
ギャンブルで効率よく勝つことというのは、期待値の積み重ねの連続である。最良の選択を続けることにより、いつか大勝が転がり込んでくるものなのである。
最初に挙げた感情的になる人が駄目というのは、頭に血が上るせいで合理的な判断が出来なくなるという点も挙げられる。
まとめ
以上、ギャンブルに向いていない人の5つの特徴を挙げた。
様々な要素があるだろうが、要は現実社会と一緒で自分を曲げないブレなさと努力を惜しまない強靭な精神性が必要になってくるのである。
そしてもう一つ、ギャンブルで本当に勝ちたいなら博打を「遊び」と思わないほうがいい。世には博打で食っている人たちが存在するが、その人たちは間違いなく遊びで博打を打っているとは言わないはずだ。
福本漫画を読め!
ギャンブルで勝つにはメンタリズムの強化だけ。
アホみたいな情報商材、オカルト論の本は買うだけ無駄だ。そういう商法は世に氾濫しているので、如何に騙される人間が多いかという話だろう。そんなものを読むよりも、福本伸行の『カイジ』や『アカギ』を読んだほうがよっぽどタメになる。と、いうのも、すぐに実践できるような勝ち方を知るより、どんな人間が負けるのかを知ったほうが真に迫っているからである。
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