あのゾクリと何かが背中を走るような感覚。
恐怖はときに耽美な高揚感を与えてくれる。
ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの作品群『クトゥルフ神話』もその類のものだ。
私は『疑似狂気体験』と呼んでいるのだが、ある種のトランス状態になっているのではと思うほど、この作品にのめり込んでしまうことがあった。だからこそ今なお根強い人気を誇り、そしてインターネットを介してファンを増やし続けているのである。
目次
クトゥルフ神話
アメリカの作家H・P(ハワード・フィリップス)・ラヴクラフトが手掛けた小説群の総称。彼の死後、友人のオーガスト・ダーレスによりまとめ上げられ、今日に至るクトゥルフ神話としての体系が形作られていった。
これは私の勝手な思いなのだが、日本の国民的作家・宮沢賢治の『イーハトーヴ』世界観が形作られるまでの過程とよく似ている。
イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉である
引用:Wikipedia
感受性の高い作家は、自分の中に心象世界を創り上げているものなのかもしれない。
宇宙的恐怖
ラヴクラフトの小説とは、言ってしまえば『ホラー小説』に分類されるものなのだが、ラヴクラフト自身は自らの小説を『宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)』と表している。
あまりにも広大で無機質、そしてどこまでも虚無的なものの根源的・絶対的恐怖の前には人間など等しく無力であり、そこに希望など存在せずただ茫然と立ちつくすのみである。得体のしれぬ絶対的他者からの干渉による恐怖は、限りなく巨大な宇宙で独りで浮いているような不安と孤独を与えるのだ。
ラヴクラフトの考える宇宙的恐怖
さて、クトゥルフ神話がラヴクラフトによって形作られた神話的体系であるとするならば、他の多くの作家と同じように彼自身の恐怖感が大きく作品に表れている。
まず、作品に登場する『旧支配者(古き者ども)』『旧神』『外神』と通称されるクリーチャー群は殆どが見る者を不安にさせるような、退廃的なデザインで描かれている。
ニャルラトホテプと呼ばれる混沌の外神。
これはラヴクラフトの狂気に対する恐怖感に起因しているのだろう。常人ならば見ただけで発狂してしまうであろうというおぞましい姿をしているという設定となっている。ちなみにこれらの設定はクトゥルフ神話のTRPGや二次創作において『SAN値』というステータスで表され、この値が0になると文字通り発狂してゲームオーバーとなる。メンタリティが重要視される特異な作品といえるだろう。
ラヴクラフト的恐怖のもうひとつは、『深淵からくるもの』である。我々の知りうる深淵…世界でもっとも深いところ、それは深海。つまりラヴクラフトは海産物に病的なまでに恐怖を抱いていて、それがラヴクラフト作品の造形に大きく影響を及ぼしているとのことである。
特にタコやイカなどに強く嫌悪感を抱いていたらしく、それが強く現れている。
確かに、西洋では昔からタコなどは悪魔に似たおぞましい生物として、今でも忌避する人は多い。
…が、こと日本人においては昔からタコやイカなどの海産物は食料であり、まったくそれらに対する抵抗感がないので、日本人がクトゥルフ神話をそこまで怖いと思わないと言われるのはそんな理由からなのかもしれない。
宇宙的恐怖の楽しみ方
ホラー作品の楽しみ方は限られてくるだろうけれども、特にクトゥルフ神話の楽しみ方は多岐に渡る。サブカル的な楽しみ方が多いのだ。
まず、骨組みがしっかりと出来上がっており、後世になって多くの二次設定が加わったりしたことで取っつきやすく、二次創作を創りやすいし、中二病心をくすぐられるからモチーフにもされやすい。
特に日本のサブカル事情においては、TRPG(テーブル・ロールプレイング・ゲーム)が有名か。
TRPG
『クトゥルフの呼び声』(クトゥルフのよびごえ、Call of Cthulhu)とは、アメリカのゲーム会社であるChaosium社が製作したクトゥルフ神話の世界観を体験するホラーテーブルトークRPG(TRPG)である。
参照:ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%95%E7%A5%9E%E8%A9%B1trpg
サブカルチャーの総本山(だった)・ニコニコ動画でも数年前にクトゥルフTRPGブームが到来しており、漫画『文豪ストレイドッグス』の原作者として有名な朝霧カフカ氏も、『水瀬妖夢と本当は怖いクトゥルフ神話』という動画でブレイクし、そこに目を付けた角川から声がかかりプロライターデビューを果たしている。
・関連記事(詳細):私が『文豪ストレイドックス』をクッソ嫌いな理由、そして作者の朝霧カフカ氏について – サブカルクソブログ
特撮・アニメ作品
クトゥルフ神話は日本のサブカルチャーと相性が良い。
そもそも日本ではクトゥルフを元ネタにしたアニメ・特撮作品が既に多く世に出ており、一般ユーザに浸透する土壌は既に出来上がっていたとも言える。
『ウルトラマンティガ』
設定からしてクトゥルフをモチーフにしており、邪神ガタノゾーアという見るからにクトゥルフ的なラスボスが登場する。
平成ウルトラマンの中でも傑作として名高いウルトラマンティガだが、どこかダークな雰囲気が漂っていたのも、宇宙的恐怖要素を取り入れたから、なのだろうか…
ガシャポン ウルトラヒーロー500&ウルトラ怪獣DX ウルトラマンティガ 光と闇の最終決戦セット
這い寄れ!ニャル子さん
日本のサブカル奥義・擬人化にかかれば、『名状しがたい恐るべきもの』もこうなる。
なんでもかんでも萌え作品にする風潮は好きじゃないのだけれども、けっこう良質なパロ作品でした(オイ)。
この作品自体は私が高校生の頃以前からラノベとしてあることは知っていたのだけれども、個人的には鳴かず飛ばずだったような印象だった。
しかしながら、前述したようにネットでクトゥルフ動画ブームが到来。その流れに乗って2012年にアニメ化したら3期までやるような大人気深夜アニメとなりました。やっぱ時流に乗るのが大事だと思った次第。
初っ端から仮面ライダー変身ポーズのパロをかますヒロイン・ニャル子
何気に、日本のサブカル文化におけるクトゥルフを一挙にメジャーにした功労者ともいえる。ラヴクラフトも草葉の陰で喜んでいるだろうか。
『這いよれ! ニャル子さん』Blu-ray BOX(初回生産限定版)
ゲーム
ゲームにおいてもクトゥルフ的要素を取り入れている作品は数多い。
その恐ろしさ、圧倒的存在感は絶対的強者にイコールされ、外神・旧神はラスボスを務めることも多い。
そして、エロゲーなのにも関わらずそのストーリーの陰鬱さ・特殊さで非常に有名になった作品がある。詳しくは後述。
女神転生シリーズ
長い歴史と根強いファン、そして高い難易度で有名なRPGシリーズである『女神転生』シリーズにおいても何回かクトゥルフ要素が登場を果たしているが、実在の宗教や伝承の神々を多く扱う作品なので、一介の作家が創り上げた神話体系であるクトゥルフを絡ませることはしていないようである。
どちらかといえば、あくまで客演的な要素が強い。
例えば『ペルソナ2 罪・罰』においては、ニャルラトホテプ(と自身をそう呼ぶことにした人の心の海から出でし這い寄る混沌≒底無しの悪意の具現)が、ラスボスとして君臨する。
・関連記事:超私的『歴代メガテン シリーズ』 ランキングベスト10! – サブカルクソブログ
沙耶の唄
狂気のアダルトゲーム。
脚本は『魔法少女まどか☆マギカ』『Fate/zero』で有名な虚淵玄氏。
その冒涜的な内容から口コミで有名になっていった異色のエロゲー。
そのストーリーをまとめると、
主人公が脳に視覚障害を持ってしまい、周りの風景が肉塊に見えるなど、世界が狂ったものに変貌してしまう。かつての友人、恋人たちもただの肉塊にしか見えず、主人公はそんな周りを拒絶。覚めることなき孤独感に苛まれる。そこにある日、「普通の人間として」見える少女「沙耶」と出会う。赤黒い肉塊のみの世界の中で可憐に咲いた一輪の花。たった独りだった主人公はようやくこの世界に自分と同じ「ニンゲン」を見出し、彼女と愛を育むようになるのだった。
という感じのストーリー。
キモは、既に主人公は狂っているのだけれど、本人からしてみれば狂っているのは激変した世界であるという点。人間とは認識の生き物なのだという哲学的なテーマ、そして余りにも衝撃的な結末が話題を読んだ。
普通の世界がグロテスクに見えるんだったら、美しい女の子に見える「それ」は果たして何かな?
一度は原作の小説を読んでみるのも手だ。
今は活字の小説を読む人は少なくなってきているが、和訳のレベルが非常に高く「ああ、窓に!窓に!」などの名訳も生まれており、読んでみれば意外とハマってしまうかもしれない。泥臭く、気味悪く、湿気った魚の生臭さが感じられるほどの迫力!
今刊行されている文庫版は解説も充実しておりまさしく「決定版」といった様相であり、豪勢なものだ。
SF、ファンタジーファンは是非とも読んでみてほしい。次巻も読みたくなること受け合いであろう。
ちなみに、漫画版もある。
小説、活字が苦手な人はこちらをお勧めする。
自分で二次創作を創ってみよう
最後は、自分で物語を創るということだ。
ニコニコ動画ではTRPGブームが起きたが、普通に話を創作してみても楽しい。
専門に活動している同人サークルなどもあり、よくコミケにも顔を出している。
絵に自信があるならば、クトゥルフ的クリーチャーを描いているのも良いかもしれない。とかく、想像力を使うことは楽しい。これぞ究極的な楽しみ方なのかもしれない。
とかく今はネットの掲示板・SNSでファン同士の交流も盛んであり、どこでも自分の好きなことを語りあえるというのは非常に贅沢な行為にも思えてくる。
今でこそクトゥルフはメジャーだが…こうしたアングラ系のサブカルチャーというのは、常に同好の志を求めているものなのだ。
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