【考察】『君の名は。』が大ヒットしたのは何故か。観客の深層真理から考える【メタファー】

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私もゴジラおじさん(22)なので言うてることがよくわかる。

で、こんな記事を見た。

blogos.com

なんか難しいこと言ってんな

なので、違う切り口から何となく思ってた私の論を記事にする。

『君の名は。』は「気持ちいい」のだ。何言ってんだこいつ?と思ってる画面の前の貴方、そこは今からしっかりと後述する。

ちなみにちょっとだけネタバレあるぞ。

最初に小難しい話するので注意だ

前提

メタファーとカタルシス

私は何らかの映像作品やメディア作品、書籍を観たり読んだりする際に、その作品に散りばめられたメタファーとカタルシスを大事にしている。…というかそれが私が本を読むことの意味、すべてである。

人が漠然と「面白い!」って感じることは、殆どの場合これに帰結してるんじゃないかな…って思ったりもするがそれは素人意見では何も言えない。

とはいえ聞き慣れない言葉だと思うし、最低限メタファーとカタルシスについては解説したい。

メタファーとは

暗喩のこと。

私としては、直喩はメタファーのうちに入らないんじゃないかと勝手に思ってる。

詳しくは

(例)

直喩=このブログは、アホみたいなことしか書いてないから、つまらない

暗喩=このブログはつまらない

というような、端的に言って指している事象について明確であるかそうでないかという表現の違いである。

或いは、

(例)主人公が傘も差さずに頭を垂れている。その上から、雨が容赦なく降り続ける

という文を一読したとき、

「なんだこいつwwww傘も差さねーで馬鹿じゃねーのwwwファーwwwwwwwwww」

と額面通りに受け取る人はいないだろう。

頭を垂れている→下を向いているということ、つまり落ち込み・怒り・悲しみなど負の感情のメタファー

雨が容赦なく降り続ける→前の文のメタファーを更に強調している

メタファーは文を美しく見せ深みを持たせることが出来るし、想像力を掻き立たたせる。

一般的なライトノベルが一般書籍と比べ批判される理由がこれであると私は思う。 安直な表現が多く、安っぽく見えてしまうのだ。漫画のような視覚的効果も無い以上、ライトノベルが頼るものはオノマトペ(擬音)である。しかしこれまた文章中に何も考えずに入れると陳腐なものに見えてしまう。面白いだろうという独りよがりさも多分にあるかもしれない。

ちなみに、村上春樹はメタファーおじさんである。春樹を読んだことない人(←これもメタファー)は海辺のカフカを読んでみるといいかも。

『君の名は。』におけるメタファー

実際、『君の名は。』には多くのメタファーが詰め込まれているが、最重要ファクターである「彗星」について、この予告では冒頭に「まるで、夢の中のように美しい眺めだった」としている。

あっこれゼミで見たやつだ!この表現は直喩だね!

しかし、「天から降るもの」は「災いをもたらすもの」である。

そして隕石が落ちた場所も、ヒロインの住む人口600人ばかりのド田舎。これは、「非現実的」のメタファーなのである。これがもし、隕石が東京に落ちるとしたならばどうだろうか。シン・ゴジラ並みの国防作戦が展開され、この映画は『アルマゲドン』と化していただろう。

『田舎』という隔離された空間は、「非現実的なことが起こる」というメタファーなのである。

メタファーメタファー言い過ぎてゲシュタルト崩壊してきたからもういいや

カタルシスとは

「精神の浄化作用」のこと。

実はこっちが本題。本当はこんな長ったらしい前置き書かずに結論だけ述べりゃあよかったんだけど、無駄に書きすぎてしまったよ。タイトルが置いてけぼりじゃねーか

で、カタルシスとは簡単に噛み砕いて説明すると

悲しい映画や楽しい映画を観たり、お気に入りの音楽を聴いて心が洗われるような気持ちになるといったことってありませんか?

ってこと。

特に感受性の高い人や女の子なんかは、「あるある!」って経験かもしれない。

古くは涙を流す、嘔吐させるなどして精神を安定させる精神療法を指す。

男性諸君には理解いただけると思うが、イライラしているときに射精すると落ち着くだろう。究極的な話、そういうことだ。

何かをはけ口にして、身体から一緒に出さないと人間は壊れてしまうのである

さて、ここからがタイトル回収である。

本題

『秒速5センチメートル』

さて、もう巻いて説明するが、『秒速5センチメートル』は新開監督が2007年に手掛けた作品である。

これも秀麗な映像と緻密な心情描写が素晴らしい傑作だったが、割と賛否両論である。

その最たる理由は最後に主人公とヒロインが出会えずに(すれ違うかのように)終わるということだ。

つまり非常に切ない終わり方なのだが、あっさりとそこからエンドロールに入ってしまうので、もやもや感というか、わだかまりが出来てしまうのだ。キレイと言えばキレイで理想的な畳み方だが、後味が悪い。「後味が悪い」映画というのは「カタルシスを感じることが出来なかった」映画というわけだ。本来ならば、解放せねばならない鬱屈したものを逆に溜め込むことになってしまう。

なんでいきなり『秒速5センチメートル』を引き合いに出したかは次項にて説明する。

この画像がすべてを物語る

『君の名は。』のラストシーン

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もはや何を言わんとしているか理解していただけているものと思う。

精神の浄化とは、気持ちのいいものだ。

この作品は、ラストシーンのカタルシスが、圧倒的に強い。

メタファーも、気付きという快感を与える効果がある。

つまり、ラストシーンでの「君の名前は…」という2人の発した言葉が、この映画のタイトル回収であり、全てなのだと最後の最後で全員が気付く。

もし『秒速5センチメートル』のようにすれ違って終わっていたら、この映画のタイトルは別のものであるし、またもやもやで終わっていたろう。

この映画はラストシーンが全てであり、そこに至る経緯はラストシーンのためだけの布石に過ぎない。

設定はよくあるループもののボーイ・ミーツ・ガールで、いくら映像が綺麗で話が良くできている、といってもその程度の評価で終わったことだろう。

脳は理解したとき、痺れるような快感を得るのだ。そのタイミングが絶妙で、すぐさま画面は暗転。

ここで鳥肌が立った人もいると思う。まさにこの瞬間がクッソ気持ちいいのだ。

『秒速5センチメートル』の鬱屈感も浄化

www.cinemacafe.net

この映画のラストのおかげで、『秒速5センチメートル』への見方もまた変わってくるだろう。

そして9年前に『秒速5センチメートル』で心を抉られた人たちは、『君の名は。』によって9年越しの浄化を味わっていることになる

一瞬、「またか…」と思わせておいて…ということだ

もう一度『君の名は。』を観る予定の人は、是非『秒速5センチメートル』を観てからにしていただきたい。物憂げな気分になってしまっても、万事オールオッケーだ。溜まっていたものが一気に噴き出し、更なるカタルシスへと導いてくれる。

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