鶴岡が現役引退を表明しました。
もしかしたら、本当にごく最近になってファンになった人は知らないかもしれないので、少し解説を入れつつ、思い出話で〆たいと思います。
鶴岡一成(現阪神タイガース)
横浜ベイスターズ期
1995年に横浜ベイスターズから5位指名を受けて入団。
横浜時代は相川亮二という後にヤクルトにFA移籍した強力なライバルがいました。それでも着実に成長していき、優秀な2番手捕手としての座を掴みます。しかし、TBS特有の謎トレードにより2008年に巨人へと移籍。
この鶴岡を放出しておきながら、結局相川にFAされ正捕手どころか2番手捕手さえいなくなるのですから、谷繁流出の二の舞どころではない失態ですよねこれ。
多村もそうですけど、主力級を放出するトレードなんてメジャーの真似事をやろうとしても、保守的な日本野球ではトレード一回の失敗を別のトレードで埋め合わせるなんてこと出来ないんですから、よほど考えてやらなきゃダメですよね。
巨人へ
まあ、この頃の巨人には全盛期の阿部慎之助がいましたから、必然的に2番手以降捕手としての役回りを求められることになります。巨人がヤクルトから強奪したグライシンガーとの相性も良いこともあり、阿部を上手く休ませつつ、その試合では鶴岡を使えるのですから、巨人はいいトレードをしたと思っていたことでしょう。
横浜復帰
巨人で4年間プレーした鶴岡は、出場機会を求めてFA宣言します。待ってましたとばかりに古巣の横浜、ではなく、新生球団DeNAが声をかけ古巣復帰となりました。
2012年、あまりにもアレな戦力の中で、三浦大輔、ラミレス、中村紀洋、金城龍彦、藤井秀悟らベテラン勢の一員としてチームを引っ張る役回りになりました。
あとでDeNAベイスターズを振り返る記事を書こうと思っているのですが、この時期は過度期とすら呼べない惨状で、他球団からベテランを拾ってなんとか誤魔化しているといった有様でした。そんな背景もあり、自己最多102試合に出場。勿論チームはぶっちぎりの最下位でした。
2013年は彼が最も輝いた年だったのかもしれません。正捕手に定着し、夏場には打撃確変し謎長打を連発。恐怖の8番鶴岡として打点を稼ぎ、火だるま打線の一翼を担いました
人的補償で阪神へ
これはかなり賛否両論ありました。2014年シーズンは明確に過度期と言って良い時期だったように思われます。つまりはチームが急激な若返りを図ろうとしていたということです。なにせ、このチームはGMが若手厨の高田GMですから、ジジイチームと化した現状にメスを入れるのは当然と言えます。
しかしながら、阪神から獲得した久保康友の人的補償として、鶴岡が持って行ってしまわれたのです。これはつまり、正捕手クラスの働きをしていた鶴岡をプロテクトに入れていなかったということでもあります。
これは荒れましたよ、ネットでもかなり議論が交わされていた記憶がありますね。
蓋を開けてみれば鶴岡は阪神でも頼れるベテランとして重宝され、クローザーのオスンファンとの相性良し、更に藤浪を大きく成長させた存在として扱われています。
まあ結論から言えば、鶴岡が阪神に移籍したとたんベイスターズはタイガースにまたカモられるようになりましたね(笑)鶴岡移籍前年の2013年には勝ち越したんですけどね。今年もタイガースには大きく負け越してますしね。
ベイスターズはというと、なんとか黒羽根に正捕手としての目途が立ったんですけど、彼が骨折で離脱したときは本当に苦しかった。あのときほど鶴岡を残しておけば!って声が大きいときは無かったですね。完全に2軍レベルのセンターラインでしたから。
そんな鶴岡も、やはり若手の波には敵わない。金本監督の若手起用方針で今シーズンは出場機会が激減。引退を決意したようです。
今後はどうなるだろうか
フロントからの信頼も厚く、タイガースでの実績をあるのでコーチには就任しそうですね。
怒ったときは怖い選手で、DeNA在籍時は、よく三嶋が怒られてましたね。
古き良き選手だったと思います。鶴岡選手、お疲れ様でした。横浜に帰ってくることは無いだろうけど、これからも頑張ってください。