馬男、キレる
♪若者の~~~~命を奪い~~~~♪
♪挙句遺族にすわ、逆ギレか~~~♪
♪大事な息子を奪われた~遺族を貶める外道~~~♪
♪俺ァ~~~~~~そんな奴ァ~~~~~♪
許せねえ。
死亡事故の遺族に暴力か 有罪判決の会社員を書類送検
去年、滋賀県米原市で男子高校生を車ではねて死亡させたとして有罪判決を受けた会社員が、示談の話し合いの際に遺族に暴力を振るい、けがをさせたとして、警察は傷害の疑いで書類送検しました。
去年2月、滋賀県米原市高溝の交差点で、横断歩道をわたっていた高校2年生の大槻祐仁さん(当時16)が乗用車にはねられ、およそ3か月後に死亡しました。車を運転していた47歳の男性会社員は、過失運転致死の罪で起訴され、ことし2月、禁錮3年、執行猶予3年の有罪判決を受けました。
警察や関係者によりますと、ことし5月、遺族が示談の話し合いの際に謝罪を求めたところ、会社員が十分に応じないまま帰ろうとして口論になり、体当たりをされた祐仁さんの高校生の弟が、肩や腕におよそ3週間のけがをしたということです。警察は、遺族から被害の届けを受けて捜査を進め、会社員を傷害の疑いで書類送検しました。
母親の真里子さんは「事故のあと1度も謝罪がないだけでなく、子どもが暴力を振るわれて憤りを感じている」と話しています。
アホか?
この犯人、なにやら過去にも何度か運転事故を起こしているという噂を聞いた。まあ某掲示板経由の情報なので真実かどうかはわからん。
私が常々思うのは、何度も交通事故を起こすようなアホは精神に障害を持っているので車に乗るなっていうことだ。
だってそうでしょ?性癖と一緒、何度も何度も同じようなことを犯す奴は死んでもなおりゃせんよ。
アンタ人殺してるんやぞ
文面からは、現場がどうだったかという状況を把握することは出来ないが、どうやらこの犯人は心から自分が悪いとは思っていない節すらあるように感じる。
本当にそうだとしたらまるでサイコパスだ。
アンタ、若者を殺してるねんで?
普通、土下座したって許されるものじゃない。ましてや、遺族に暴力だと?
ふざけるのも大概にしろ!この腐れ外道が!!!
要は、殺した相手の遺族なんてどうとも思ってないってことやろ?
面倒としか思ってないってことやろ?
そうでなければ、キレて暴行など振るうものか!
しかも、事故の後一度も謝罪がないってのはどういうことだ?
被告は自分も被害者だと思っているのだろうか
いかなる場合においても、人身事故は車を運転していた側が悪い。
無論、歩行者側と車側の過失割合もあるが…
運転強者である自動車側には重い責任があるのだ。
自分は悪くない、自分も事故の被害者だ、は絶対に通らない。
人に許しを請うのは簡単なことではない
家族の命を突然奪われた遺族の悲しみは如何ほどのものだろうか。
それを少しでも思えば、誠意ある対応は当たり前の話である。
それこそ、本来であれば土下座でもなんでもして誠心誠意償っていく姿勢が大事なのである。
…世の中には、どうせ何をやっても許してもらえない。
ならば開き直っちまおう、という連中が後を絶たない。
それは救いようのないクズである。
『償い』
さだまさしの『償い』という曲をご存じだろうか。
償い説諭
2001年4月29日、東京都世田谷区の東急田園都市線において、4人の少年が泥酔した銀行員の男性から車内で足が当たったと絡まれ口論となった末、三軒茶屋駅のホームに降ろされた4人が男性からの暴行に対応する形で男性の意識がなくなるまで暴行を加え、放置し、のちにくも膜下出血で死亡させるという事件が起きた。
後日出頭した4人の内、主犯格となった2名が傷害致死罪に問われて逮捕され、事件の重大さから地方裁判所の公開法廷で審理が行われることとなった。裁判の中で2人は「申し訳なく思います」「自分という人間を根本から変えてゆきたい」などと反省の弁を述べた一方、事件自体は酔った被害者がからんできたことによる過剰防衛であると主張し、裁判中の淡々とした態度や発言から、真に事件に向き合い反省しているかどうか疑問を抱く態度を繰り返していた。
2002年2月19日、東京地裁において判決公判が行われ、少年2人に対して、懲役3 – 5年の不定期実刑が下された。判決理由を述べあげた後、山室惠裁判長が被告人2人に対し「唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という唄を聴いたことがあるだろうか」と切り出し、「この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と説諭を行った。
裁判官が具体的に唄の題名を述べて被告を諭すことは異例のことであり、『償い説諭』はマスコミに取り上げられ話題となった。
さだまさしは新聞社の取材に対して、「法律で心を裁くには限界がある。今回、実刑判決で決着がついたのではなく、心の部分の反省を促したのではないでしょうか」とコメントしたうえで、「この歌の若者は命がけで謝罪したんです。人の命を奪ったことに対する誠実な謝罪こそ大切。裁判長はそのことを2人に訴えたかったのでは」と述べた。
特に交通事故関連は、被害者遺族も加害者も不幸のどん底になる悲しい事件が多い。
人の命を奪ったということに対し、深く反省し、相手に誠意を伝えることが大切だとさだまさし氏は説いた。
観念論的な精神の在り様が法治ではないのか。
今回のケースで、加害者が謝罪どころか遺族に暴力を振るうなんて言語道断。
そんな人間が世の中にも多くいると思うと、なんだか、力が抜けてくる。
やるせない。
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